NHK「ブラタモリ 尾道編」が2017年5月20日(土)に放送されました。
タモリさんと近江アナウンサーが旅のお題「なぜ人は尾道に魅せられるのか?」をテーマに、日本遺産の町 尾道をご散策。
「尾道水道が紡いだ中世からの箱庭的都市」の魅力が、タモリさんによってどのように紐解かれていくのでしょうか。
年間670万人の観光客が訪れる尾道の魅力、タモリさんの足跡とともにご紹介しますね。
目次
尾道 タモリのブラブラ足跡マップ
尾道市について
尾道は「映画の町」「猫の町」「海と坂の町」などと呼ばれ、小津安二郎監督「東京物語」大林宣彦監督「尾道三部作・尾道新三部作」をはじめ数々の映画やドラマ、小説の舞台となっています。
日本で唯一、2年連続で日本遺産に認定された町としても有名。
2015年「尾道水道が紡いだ中世からの箱庭的都市」
2016年「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶-」
近年は世界七大サイクリングロードの一つ「サイクリストの聖地 しまなみ海道」の起点の地として、世界中からサイクリストが訪れています。
尾道の魅力と歴史を、タモリさんと一緒に巡ってみましょう。
写真はわたしが過去に撮したものをイメージで使ってます。
千光寺と千光寺道
「坂がキツイね!」とおっしゃりながら千光寺新道を登り、
「天寧寺」三重塔(多宝塔)上から眺める尾道水道(海)と尾道市街地の景観に感動されるタモリさん。
「天寧寺」についてはコチラ。
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<尾道の魅力>
・古い寺や神社
・川のような尾道水道
・坂道の家や路地
急な石段と坂を上って辿りついたのは、尾道で一番有名な古刹「千光寺」。
806年(平安時代)、弘法大師空海の開基とされる真言宗のお寺です。
舞台づくりの本堂からは、尾道水道と尾道市街地、瀬戸内海の多島美を一望にできます。
今回のポイント、千光寺の境内に乱立している三重岩、玉の岩、くさり岩などの巨岩。
尾道には、尾道三山と巨石をめぐる神話が多く伝えられているのですよ。
<尾道三山>
浄土寺山(瑠璃山)
西國寺山(愛宕山、摩尼山)
千光寺山(大宝山)
これらの巨石が尾道の「はじまり」だったのか!?
尾道の巨石ミステリー「神々の神話」についてはコチラ。
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浄土寺
616年(飛鳥時代)、聖徳太子の創建と伝えられている浄土寺。
境内の土地そのものが国宝に指定されている「国宝の寺」であり、尾道で一番古い歴史をお持ちです。
土地・建物ともに国宝指定を受けたのは、清水寺と浄土寺だけなんですって。
浄土寺名物 仏様の使い「鳩」にエサをやろうとするタモリさんですが、ロケ日に限って鳩がいなかった模様。
普段は写真のとおり、たくさんの鳩がのどかに過ごしているのに残念でしたね。
番組内では、江戸時代に建造された裏門(重要文化財)を、特別公開。
天井裏(屋根裏)には伝書鳩を飼育していた「秘密基地」があり、江戸時代に禁止されていた伝書鳩を豪商(商人)とグルなって、こっそり飼っていたんですって!
江戸幕府に内緒の伝書鳩については知らなかったわぁ、あの天井裏へ入ってみたいものです。
足利尊氏とも縁が深い浄土寺、毎年5月に浄土寺境内で開催される薪能についてはコチラ。
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尾道に平安時代後期から豪商が集まってきた理由は?
西国街道&いずも往来
尾道の町中を、東西にのびる商店街(西国街道)と、南北にのびる「いずも往来」(出雲街道)。
いずも往来を尾道から30kmほど北へ進んだ世羅郡世羅町の世羅大地に、「太田荘」という日本有数の大荘園がありました。
尾道は1169年(平安時代)に「公認の港」となり、荘園で収穫された穀物を出荷する港町として栄えたのです。
平安時代後期から急速に発展した尾道は、鎌倉時代に港町として発展し、江戸時代には大型商船「北前船」の寄港地となって黄金時代を迎えます。
江戸時代には尾道三山とその間の入江しかなかった尾道は、どのように埋め立てられていったのでしょうか?
八坂神社(厳島神社)
江戸時代の古地図には、西国街道(尾道商店街)ギリギリの海岸通りに石垣が並んでいます。
タモリさん一行は、尾道商店街を東(大阪方面)へ向かって歩き、町中の段差と石垣を確認しつつ、八坂神社へ。
尾道の悲恋物語「かんざし灯篭」で有名な八坂神社。
八坂神社南面の石垣は知らなかったなぁ~。
江戸時代に平地を広げるため、埋め立てを広げた尾道。
埋め立て・雁木の築造を指揮した尾道の町奉行 平山角左衛門氏の名前までは出てきませんでしたが、いろいろ勉強になりました。
尾道の三大夏祭り『祇園祭』の様子はコチラ。
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尾道水道
埋め立てによって湾曲がなくなり、まっすぐな川のようになった尾道水道。
海幅200m~300mの狭い海峡には、3つの渡船が就航していて、尾道市街地と向島を船で結んでいます。
タモリさんも、「日本一短い船の旅」約3分間の尾道水道の旅を「尾道渡船」でご体験。
対岸(向島側)から眺める尾道市街地の眺めもオススメです。
江戸時代までは神聖な地だった山に、住宅が建設されるようになった理由とは?
JR山陽本線
1891年(明治24年)、町の中心を避けて山際に敷設された鉄道線路(JR山陽本線)により、尾道の町は大きく変化しました。
山手にある寺社仏閣から尾道水道の港まで、南北に通っていた参道を、東西に走る線路が横切ってしまったのです。
八幡神社にいたっては、山門と本堂が線路で分断されてしまいました。
これにより山際に住んでいた人たちは山手へ移住するしかなく、山の斜面に住宅が建ち並ぶようになったのです。
斜面地の住宅は寺社仏閣が大家さんのケースが多いのは、町の歴史に由来しているのですね。
尾道の井戸
山手に暮らす住人が共同で使っていた井戸・用水が、今でも多く残っています。
坂の上の家、下の家、両方から水が汲めるように設計してある二階井戸。
コツがいる上の家からの水汲みに、タモリさんがチャレンジされていました。
タモリのブラブラ足跡マップ
ルート1.オープニング
ルート2.古い寺と神社
ルート3.尾道水道
ルート4.坂道の家
NHK公式サイトで公開されています。
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「坂道の町が大好き」なタモリさん、ぜひまたゆっくり尾道へいらしていただきたいものです。
尾道のニューヒーロー「でべらーマン」が語る尾道についてもどうぞ。
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