室町幕府を築いた足利将軍家と縁の深い尾道。
九州に下るとき、九州から攻め上るときに足利尊氏が参拝した『浄土寺』。
足利義詮(室町幕府二代将軍)が尊氏の遺志を継いで建立した『天寧寺』。
そして、尾道市向東町(向島)には、室町幕府最後の将軍 足利義昭の悲恋物語が伝わっているのです。
義昭の悲恋物語とはどんなものなのでしょう?
足利将軍家の悲恋物語
「向東の肥浜は、昔は『恋浜』って言われてたんよ。足利将軍と村娘の悲恋物語が伝わっとるんよ」
幼いわたしにこう教えてくれたのは、祖母だったでしょうか。叔母だったのでしょうか。
昨年からインバウンド事業のお手伝いをさせていただくようになり、尾道の歴史を調べる機会が増えたなか、ふとこの言葉が頭に蘇ってきました。
いくつになっても、恋バナは女性の大好物。
「詳しく知りたい!」と思ってググりまくってみましたが、ヒットしたのは尾道市向東町のホームページのみでした。
向東町ホームページより
恋浜(小肥浜)は肥浜(悲浜)
肥浜ベイサイド向東の一角に平成19年1月29日(月) 西提寺住職をお迎えし、足利十五代将軍 義昭側室お藤の方の法要が行なわれました。
参列者森永肥浜区長様、会計西迫様、環境委員黒田様、林原様
『お藤の方』法要
五輪塔婆の由来と伝記
1、この塔婆は足利十五代将軍足利義昭の側室である「お藤の方」の墓塔である。・・・
詳しくは現地でお確かめ下さい。ベイタウン向東諏訪大明神(左)と八代龍王(右)が奉ってあります。諏訪大明神と八代龍王
尾道市向東町ホームページより
ええっ!
足利将軍は足利将軍でも、尊氏じゃなくて義昭なの!?
尾道に縁が深く男気あふれる尊氏の物語だと勝手に思い込んでいただけに、大好きな織田信長への裏切り行為を繰り返した義昭が主人公と知ってかなりショックを受けてしまいました。(義昭ファンの方、ごめんなさい)
織田信長と対立した義昭を、小早川隆景が庇護して鞆の浦(福山市)にかくまっていたのは有名ですが、尾道にも足をのばしていたのですね。
ショックは受けたものの、物語はやはり知りたい。
西提寺
ご住職さんにお話が伺えたらと、西提寺を訪ねてみました。
備後西国三十三観音札所第4番札所。向島にある近代建築のお寺で、施工は清水建設。
ご本尊は国の重要文化財に指定されている「聖観世音菩薩」。
317線を北に入ると、西提寺の甍と尾道巨石ミステリーの舞台「岩屋山」が見えてきます。
広い専用駐車場があるので、お寺の目の前まで車で行けますよ。
記念碑には、明治5年の大火で記録などが一切焼失してしまったことや、昭和に再建された様子が書かれています。
「息を抜くは 生き抜く力なり」
お仕事満載でちょっとしんどい時期だったので、この言葉で余分な肩の力を抜いてもらえました。
やっぱり訪問して良かった!
アポなしで伺ったので今回はどなたにもお会いできませんでしたが、あらためてお話を伺いに行きたいと思います^^
西提寺
〒722-0062 広島県尾道市向東町95
電話:0848-44-1961
https://www.ononavi.jp/sightseeing/temple/print.html?detail_id=482
足利将軍家に縁がある尾道の寺社
浄土寺についてはコチラ。
天寧寺についてはコチラ。
まとめ
「ググればなんでも分かる」と思いがちですが、ネットにはのっていない歴史や物語がたくさんありそうです。
尾道学研究会や向東町の皆さんにも、義昭こと、なぜ恋浜が肥浜に変わってしまったのかなど、聞いてみよう。
どなたか詳しい方をご存知でしたら、ぜひ紹介してくださいませ♡
詳しいお話が分かったら、追記をアップしますね。
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